技術との自由なかかわり

和歌山県立医科大学教養部紀要第29号、2000年3月、1〜15頁

0.はじめに

[0-1]  1999年10月16日および17日の二日間にわたり、大阪大学吹田キャンパスにおいて日本倫理学会第50回大会が開催された。本稿は、その二日目に行われた共通課題報告「20世紀 −倫理学への問い」のセッションD「科学技術と倫理学」で筆者が行った報告「技術との自由なかかわり」である。

[0-2]  セッション・パートナーは東京理科大学教授の清水正之氏であった。清水氏は「『形而上』の知と『形而下』の知のゆくえ」という題名で報告を行われた。

[0-3]  今回の紀要掲載にあたって、論旨は改変していないが、文末表現などをあらためた。

[0-4]  本稿には多量の注が付されているが、口頭発表でこれを述べることはかなわないので、大会会場においては本文を読み上げるにとどめた。しかし、本稿とほぼ変わりのないコピーがフロアーの方々に配布された。ここであらためて、セッション・パートナーの清水氏、ならびに貴重なご質問をいただいたフロアーの方々に感謝したい。

1.「自由な」かかわり

[1-1]  表題の「自由なかかわり」という言い回しは、マルティン・ハイデガーの(講演)論文「技術への問い」(Die Frage nach der Technik)の冒頭段落にある表現に由来する。ハイデガーはその箇所で、「われわれは技術を問い、そのことによって、技術への自由なつながりゆきを準備したいと思う」(Wir fragen nach der Technik und moechten dadurch eine freie Beziehung zu ihr vorbereiten.)と述べている(1)

[1-2]  ここで技術をめぐるハイデガーの議論そのものに深入りするつもりはない。またその必要もない。だが、以下に述べることと関係するかぎりで少し確認しておく。

[1-3]  既存の技術論(2)のタイプ分けには色々とある(3)が、話を分かりやすくするために、二分法を採用しているものを用いることにする。

[1-4]  アンドリュー・フィーンバーグが『技術の批判理論』で行っている技術論の分類(4)によれば、これまでの技術論は大きく二つの立場に分けることができる。その一つは「道具説」(instrumental theory)と名づけられるもので、技術を、その「利用者の目的に奉仕する」道具と考える。技術そのものは中立的なものと見なされる。これは一般に広く承認されている考え方であり、「今日の各国政府やその政府が依拠している政策科学において支配的」な立場であるという。もう一つは「自立的存在説」(substantive theory)と名づけられるもので、技術を、「社会のすべて、世界のすべてを管理の対象物として作り替えようとする、一つの新しいタイプの文化システムである」と見なし、技術の中立性を否定する。そしてこの立場は、いわゆる技術決定論につながるものであり、「社会そのものがいわば『道具』化を施されるのであって、われわれは技術から手をひいてしまう以外にはこの運命を逃れるすべがない、ということだ」とされる。

[1-5]  既存の技術論をこのように二つにタイプ分けするフィーンバーグは、ハイデガーの技術論を後者の自立的存在説の立場に数え入れる。

[1-6]  さらに、フィーンバーグを離れて述べると、ハイデガーの技術論には「ロマン的」とか「懐古趣味的」といった形容詞が、マイナス評価としてしばしば付加される。ハイデガー本人は、自分は技術に反対して語ったことはないし、技術のいわゆる悪魔的なものに反対して語ったこともないと言っている(5)のだが、彼の技術論は技術にたいして「ネガティヴ」であるとしばしば評される。

[1-7]  簡単に言って、ハイデガーの技術論は以上のような受け取られ方がされていると思われるが、ほかならぬそのハイデガーが、「自由なつながりゆき」(eine freie Beziehung)という言葉遣いをしているのである。本稿表題では、これを普通の日本語に合わせて「自由なかかわり」としたのだが、上記の一般的な受け取られ方からして、この言葉遣いはどこかひっかかりをおぼえさせるものではないだろうか。

[1-8]  「自由な」(frei)とは、いったいどういうことなのだろうか。それはさしあたり「拘束されていない」(nicht gebunden)ということを意味するだろう。しかしそれだけではあるまい。それだけでは、仮にハイデガーのテキストの内部にとどまるとしても、彼がのちに述べる「放下」(Gelassenheit)を十分にとらえることはできない。また、必ずしもハイデガーのテキストの内部にとどまらないとしても、「自由な」が「かかわり/つながりゆき」(Beziehung)を形容していることを見逃すわけにはいかない。何らかの結びつきがすでに含意されている。その意味ではすでにgebundenである。それゆえ、もう少し立ち入って考えなければならない。

[1-8]  つまり、「拘束されていない」ということがもたらされるのはどういうところなのか、ということを考えなければならない。それには、freiという形容詞がもともともっている意味が手がかりになる。すなわち、freiとは「誰かが自分の愛する人々の一員であること」を言うのであり、「自分とは異なる部族や捕虜とは区別して、自分の家族や身内」のことをfreiと言うのである。freiは、「友」(Freund)と同根なのである(6)

[1-9]  「自由」というと、「何かから」離れる、「何かから」解放されているという方向性がまず念頭に浮かぶ。それはそれで根拠のあることである。しかし実は、その方向性は「何かとともに」あること、「何かのなかに」あることにおいて、もたらされるのではないだろうか。それゆえ、「技術との自由なかかわり」は、技術とともにあること、技術のなかにあること、おそらくは親密に(freundlich)そのようにあることがあってはじめて成立するのではないだろうか(7)

[1-10]  本稿では、ハイデガーの言葉をこのように受け取りたい。そしてそれをきっかけにして、以下において、技術と倫理学をめぐって少しばかり考察を試みたい。

2.形而下

[2-1]  最初に一般的な次元のことを考えたいのだが、そのために一つ楽屋話をしなければならない。実は、このシンポジウムで報告せよとの指示には、一つの条件がつけられていた。それは、「技術にたいしてポジティヴな立場から論じるように」という条件だった。

[2-2]  「ポジティヴとネガティヴ」という二分法の枠組はさしあたり分かりやすい。容易に納得することもできるのかもしれない。しかし、このような枠組をもって技術にアプローチしようとすることそのものに、問題がありはしないだろうか。

[2-3]  これではあたかも、倫理学者もしくは哲学者が技術という大きな事柄を見渡せる高みに立つことができ、そこから裁定を下しうるかのようである。あるいは、哲学や倫理学が、そのような高みをすでにそなえているかのようである。しかし他方、こうした疑念があるにもかかわらず、実際には、このような仕方のアプローチがかなりの頻度で行われることも確かだろう。いったいどうしてそうなってしまうのだろうか。そうなってしまうことの根底に、何かが潜んでいるのではないだろうか。技術の営みやその営みに携わる人々に関して、われわれは何かあらかじめ判断してしまっているのではないだろうか。

[2-4]  セッション・パートナーである清水正之氏の「形而上の知と形而下の知」という表現を乱暴に借用して言うなら、倫理学者もしくは哲学者をはじめ多くの人々が、技術を「形而下の知」とし、それにたいして「形而上の知」をより上位に置き、技術にたいして少なくともポジティヴと形容することはできないような態度を、いつのまにかとってしまっているのではないだろうか。もしそうだとすれば、その「いつのまにかとってしまっている」というところに問題ありとしてよいはずである。

[2-5]  手近なところに例をとろう。筆者の現在の職場は医科大学だが、医学医療という営みについて次のようなことが指摘できる。一八世紀から一九世紀に生きたカントは、「医者は技術者である」(Der Arzt ist ein Kuenstler.)と断言している(8)が、医学医療という営みについて、それは知的なものではないとまで考える人はまずいないだろう。カントもそこまでは考えていない。そして、一九世紀から二〇世紀の医学医療を知的なものではないと断言する人もまずいないだろう。けれども、医学医療の知は、知識として、どのように位置づけされているだろうか。たとえば物理学の知にくらべて医学医療の知は知識としてどうか、と尋ねられたとしたらどうだろうか。「自然科学的知識としては、物理学に劣る」とする見方はそれほど珍しくない。医学部に所属する医者たちをはじめ医者たちのかなりの部分に、コンプレックスめいたものをも指摘できる。

[2-6]  つまり筆者が注目したいのは、人間がもちうる諸知識の区分、あるいは諸知識の位置づけにかかわることである。そこにはおそらく、古くアリストテレスを淵源とする、観想知と実践知の分断および観想知の優位という知識区分の伝統的図式が根底にある。歴史学の研究がすでに明らかにしているように、ヨーロッパ中世には技術の大きな変化ないし技術革新があった(9)が、それは決して歴史の表舞台に押し出されはしなかった。また、近代の初頭、ベーコン、ロック、ライプニッツ、さらにはディドロなどによって、このアリストテレス流図式への反問が提出されもした(10)が、それでもやはり、この図式は強力である。

[2-7]  けれども、そこにはひょっとすると、いわば洞窟の中から外に出てしまうと二度と帰ってこない、そういう不自由さがあるのではないだろうか(11)。さらに言うと、われわれは実はもうすでに、この分断と優劣関係が通用しないという事実を知っているのではないだろうか。それはひょっとしたら factum brutum であるのかもしれない。仮にそうだとしても、それが factum であるということをしっかりと受けとめ、そこから出発するべきではないだろうか。

3.弱気な強気

[3-1]  前節において、「少なくともポジティヴと形容することはできないような態度」という、もってまわった表現を用いた。これには理由がある。こうした態度には一種の屈折が含まれており、簡単にネガティヴと形容してしまうのも不適切なところがあると思われるのである。

[3-2]  つまり、たとえば次の文章にあらわれているようなことが、倫理学者もしくは哲学者のみならず、多くの人々に指摘できると思われるのである。「電気製品を修理に出したことは何度かあるが、使い方が悪いと非難されるのではないかと頼むときはいつも緊張する。なぜか私が使うときに限ってコンピューターの調子が悪い気がする。もし、何かが壊れて修理の人に来てもらうことがあったら、修理の人がいるときはその機械は何事もなく動き、帰ったあとでまた動かなくなるのではないかと思う。技術に関わりたい気持ちがある一方で、いつもどこか技術にたいして弱気なのである」(12)

[3-3]  「技術にたいして弱気な態度」、これは珍しいものではあるまい。じっと胸に手を当てて思いをめぐらせてみれば、多くの人が「確かに自分にもそういうところがある」と得心するのではないだろうか。そして、これを簡単に「ネガティヴ」と形容するのは不適切としてよいだろう。

[3-4]  こうした弱気は案外に根が深く、遠くにまで及ぶ射程をもっている。ギュンター・アンダースの言う「プロメテウス的羞恥」(Prometheische Scham)はその極限的形態だろう。

[3-5]  プロメテウス的羞恥とは、われわれ人間が「自分の作品の<恥ずかしくなるほど>高度な品質」にたいして感じる羞恥のことをいう(13)。かつてであれば人間は(あるいはプロメテウスは)自分が作り出した作品を前にしてみずからを誇りに思うことができたのだが、今や人間は、自分が作り出した作品を前にすると、みずからについて劣等感と憂鬱にさいなまれるというのである。なるほどたしかに、多くの技術的産物はその精妙さや合理性(それらは必ずしも自然科学理論の応用ということに尽きない)を見せつける。これにたいして人間は、究極のところでは、自分が生まれたことを、「作られたのではなく生まれた」ことを恥ずかしく感じるのであり、自分が、手が加わっていない、手入れされていない、手つかずのありさまであることを恥ずかしく感じるのである。

[3-6]  アンダースによれば、この羞恥にたいする人間の反応は次のようなものである。すなわち人間は、みずからを作ることに、みずからを製品にすることに熱望を抱く。この熱望は多くの場面で見て取ることができるだろうが、たとえば、アンダースも挙げる「メイク・アップ」という言葉に端的にあらわれているとしてよいだろう(14)

[3-7]  アンダースを離れて筆者の方から、プロメテウス的羞恥にたいする人間の反応の別の様式を指摘しておきたい。その様式はアンダースの指摘した熱望と方向としては逆なのだろうが、熱望としては同じだと思われる。それゆえに本節標題のように「弱気な強気」と命名したのだが、つまり、「作られたのではなく生まれた」ことを転回点として、「生命」を転回点として、技術にたいしていわば反撃するような反応である。ここでさらに前節で述べたことを振り返ってみるなら、「生命」にかぎらず「精神」や「理性」、さらには「こころ」なども、すでに提出されている転回点として、挙げることができるだろう。

[3-8]  こうした転回点について、総じて筆者は、単純に拒絶しようというのではない。しかしそれらを旗印に進軍するつもりもない。筆者にとっては、「それらはその都度のコンテクストにおいて編成される、もしくは紡ぎ出されると考えるべきだ」ということの方が重要である。そして、「その編成もしくは紡ぎ出しの過程そのものに視線を注ぐべきだ」ということの方が重要なのである。

[3-9]  なお、「精神」や「理性」という転回点については、現代においても、注で紹介したライプニッツやロックなどのテキストに語られていたことと同様の点を指摘する発言が、倫理学者もしくは哲学者よりもより技術に近い立場にある人からなされている。技術史家ユージン・ファーガソンによれば、「一心に考えることを頂点に置く」ヒエラルキーが多くの学者のあいだでなおも固執されつづけているのであり、「自信に満ちたお偉い方々」や学者たちは、事柄の「純粋に知的な側面」や「言葉の側面」の方が本質的に優れている、との「無意識の前提」をもちつづけているという(15)

4.技術論のマージナリティ

[4-1] ここまでは、一般的な次元について述べてきた。次に哲学や倫理学に眼を移したい。つまり技術論という分野に眼を移すわけだが、そうしてみると、これまで述べてきたことからすると予想の範囲内でもあろうが、ともかく一つのことに気づかされる。それは、技術論がどうもまだマージナルな領域のようだということである。

[4-2]  もちろん、プラトンにもアリストテレスにもトマスにも技術論があること、現代においてもたとえばフランクフルト学派をはじめ多様で重要な考察が行われていることは承知している。けれども、技術論が哲学や倫理学においてまだマージナルな領域であることは否めないのではなかろうか。

[4-3]  これは筆者の個人的な感想ではない。アメリカ合衆国のSociety for Philosophy and TechnologyはWorld Wide Web上にelectoric journalを公開しているが、その一九九五年号に、現代ドイツで技術論の仕事を精力的に行っている人物の一人であり、一九九四年にはDie Dynamik der modernen Welt: eine Einfuhrung in die Technikphilosophie(1994, Hamburg)という本を書いたフリードリヒ・ラップが、過去二〇年間のドイツ思想界を回顧してこう述べている。「技術論はマージナルな領域にとどまっているが、だんだんとアカデミーにおける承認が大きくなっている」(16)

[4-4]  また、Technology and the Lifeworld: From Garden to Earth(1990, Indiana University Press)という本を一九九〇年に書いたドン・イーデは同じ号で次のようなことを述べている。少し脈絡が異なる発言だが興味深いので紹介しよう。Society for Philosophy and Technologyは、大陸哲学の研究者を中心とするSociety for Phenomenology and Existential Philosophy、そしてフェミニズム研究者を中心とするSociety for Women in Philosophyという二つのSocietyとおおざっぱに言って同じ六〇年代から七〇年代に、それぞれ最初はアメリカ合衆国の哲学界ではマージナルなSocietyとして産声をあげた。さて、一九九五年にいたってSociety for Philosophy and Technologyはどうかといえば、大きく立派に成長したほかの二つのSocietyにくらべマージナルなままである。これは一見したところ、テクノロジーが大陸哲学やフェミニズムにくらべて狭い対象領域であるからなのかもしれない。だが他方、テクノロジーは実質上は、他の二つのSocietyが取り上げるすべてのトピックに関係し、浸透し、影響をあたえるのである(17)

[4-5]  日本についても同じようなことが指摘できるだろう。なるほど哲学講座の類には技術をテーマとする巻が含まれていることが多く、ごく最近、『科学/技術と人間』というそのものズバリの題名の叢書が出版されている。したがって変化してきているのはたしかである。しかし、ひょっとするとすでに述べたような弱気が、あるいは弱気な強気があるのだろうか、哲学や倫理学の領域で技術論がまだマージナルであることは否定できないように思われる。技術論はまだマージナルであり、最近になってようやくそのあり方に変化が起こってきている、とする方がより精確だろう。しかしそれは、イーデが言うように、技術が、哲学や倫理学が取り扱ってきた(取り扱っている)トピックの大部分に関係し、浸透し、影響をあたえているという事実(factum)があるにもかかわらず、そういう状況なのである。

5.自由な「かかわり」

5-1.いくつかの示唆

[5-1-1]  以上四節にわたって述べてきたことを踏まえて、ここで何かテーゼめいたものを提出するとすれば、「技術そのものをもっと知るべきである」ということになる。「親密なという形容詞が付加されうるほどに技術とかかわるべきである」ということになる。これはまことにナイーヴな命題だが、端的にはこういう命題になる。

[5-1-2]  ただ、技術にたいするこのような態度の取り方は、日本でも何人かの人によってすでに示唆されていると思われる。もちろんそれぞれの方がそれぞれのコンテクストにおいて述べているのだから、コンテクストから切り離して強引に一括りにしてしまうのには問題もあろうが、筆者の目についたいくつかを紹介しよう。

[5-1-3]  加藤尚武氏は、大学受験生に「ともかく理系の大学にはいれ」とすすめている(18)。これは、文系と理系というかなり怪しい区別がいつまでも通用し、多くの人がそこに安住しているとさえ言える状況を不問とし、それを前提した上でなされた一種過激な発言であるが、たしかに、技術リテラシー(こういう言葉があるかどうか知らない)の乏しい人間が増えていくと絶望的な状況が到来するという予想は成立するだろう。

[5-1-4]  清水哲郎氏は、「実践家に付き添う書記である哲学者」という哲学者像を提示し、現代の技術の代表選手である医学医療に、そして医療者に、いわば密着した仕方で議論を展開している(19)。残念ながら、その議論の中に医療技術そのものに関係する記述がふんだんに含まれているとは言えないが、医学医療が人間のからだを主な対象とする技術的営みであることは間違いないから、その技術的営みに付き添い記述する人間という哲学者像は興味深いものである。

[5-1-5]  森岡正博氏は、複数の専門分野の専門家たちのあいだの「学際的交流」では駄目だという考え、あるいは駄目であったという経験を踏まえて、むしろ一人一人の専門家が複数の専門分野を横断するような、「一人学際」を提案している(20)。これは一見ヘラクレス的な力技に見えるかもしれないが、私見によれば、必ずしもそうではない。

[5-1-6]  米本昌平氏は、基本的人権のさらなる基盤をなす真理探究権とも言うべきものを提示し、その真理探究が特化されたものとしての科学研究を、現在のように専門家集団に委任するのではなく、個々人が行うことを提案している(21)。「多くの人たちは人生最高の道楽として研究活動のすばらしさと困難さを味わってみたいと熱望しているはずなのだ」という言葉には疑問が残る(というのも、すでに述べた弱気、弱気な強気があるから)が、科学研究活動の個々人への解放、科学研究の世俗化という氏の提案は重要である。

[5-1-7]   清水氏と森岡氏の提起が向けられているのはむしろ哲学者倫理学者であり、加藤氏と米本氏の提起が向けられているのはむしろ一般の人々であるという違いが認められるが、総じて、技術をもっと知り、技術とともにあるような態度を提起していると受け取ってもよいだろう。

5-2.歴史-文脈主義的アプローチ

[5-2-1]  四人の同時代人による以上のような示唆を間接的支持として受け取り、哲学あるいは倫理学の立場から技術にかかわっていきたいわけだが、その際に筆者が有効だと考えているのは、歴史-文脈主義的アプローチである。

[5-2-2]  このアプローチは、「そもそも技術とは……である」というような旗を掲げることをできるかぎり避ける。あるいは先送りする。なぜなら、とりわけ現代の技術がそうなのだが、マテリアルな次元(機械など。伝統的にはこれが主として考えられてきた)からノン・マテリアルな次元(いわゆるフォード・システムやシステム・エンジニアリングなど。坂本賢三の言う「技術の技術」(22))まで、技術が実に多様な姿をもっており、なおかつ、それぞれの技術はさまざまの要素が折り重なった多元性をもつという事実があるからである。

[5-2-3]  この事実を前にすると、たとえば「技術とは人間の器官の投射である」(23)というようなことだけでは、少なくとも現代の技術を、その本質があるとしてそれをつかまえるためにすら、包括的抽象的にすぎる。この点で私は、ひたすら「技術の本質」(Wesen der Technik)に突き進んでいくハイデガーの技術論(24)とは異なる方途を採用するわけである。

[5-2-4]  むしろこのアプローチは、ある程度限定された、具体的な技術にさしあたり密着し、その技術がもっている(もっていた)、あるいはその技術に付与されている(付与されていた)「多様な意味」を読み取ることを試みる。解釈学的性格をもつと言ってよいだろう。哲学や倫理学の立場からできることは、まず、そうした多様な意味を記述し相互の連関を整理、分析することではないだろうか。整理分析を試みていくなかで、齟齬や葛藤が見いだされるかもしれない。可能であれば、多様な意味相互のあいだに、限界設定を試みることもできるだろう。あるいはもっと進んで、そもそも多様な意味を読み取っていくための基本的枠組のようなものを提出することもできるかもしれない(25)。言うまでもなく、読み取りの作業そのものと、読み取られる意味や枠組とは、相互に独立ではなく依存しあうわけだが、やはりまず肝要なのは、いわば地べたにぴったりと貼りついて、地道に読み取ろうとする態度である。

[5-2-5]  筆者自身、打診法・聴診法・X線画像法・MRIを具体例として挙げることのできる技術を少しばかり追跡している。今のところ筆者はそれを暫定的に「からだの内部を何とかして外に引き出し、知ろうとする技術」として一括りにしているが、そうした追跡の中で分かってくるのは、たとえば次のようなことである。

[5-2-6]  1  技術者の中には、自分たちが携わっている技術の変化もしくは発展、さらには自分たちが技術に関して行う決定は、技術内部的な合理性に、いわばハードな合理性にしたがうものであり、それ以外のいわばソフトな要因など無関係であると(たとえば「純粋に技術的な問題だ」と場合によっては一種誇らしげに)主張する人もいる。しかし、からだの内部を知ろうとする技術を追跡して分かるのは、この技術をハードな技術内部的合理性の産物であるとするのは過度の単純化であって、その意味で誤りだということである。

[5-2-7]  この論点は「発明」や「技術革新」という問題につながっていく論点だが、発明や技術革新がたとえばたんなる「変化」とは名づけられずに発明、技術革新と呼ばれ、ときには「進歩」とも呼ばれ、受容されていくのは、発明ないし技術革新の前と後で同じ価値尺度、同じ意味づけの尺度が用いられているからである。「からだの内部を知ろう」とする同じ欲求が存続しているからなのである。

[5-2-8]  意地の悪い見方をすれば、ハードな技術内部的合理性云々という主張は、技術者集団が自分たちの営みの歴史を構成する際に採用したなんらかの構成様式に由来するように思われる。それはそれこそ技術外部的なものであり、政治的含意を有する主張だとも考えられるのである。

[5-2-9]  2  X線画像法(26)を例として用いるが、この技術はそれとは別の種類の技術とのリンクがなければ、あれほど急速に広まることはなかった。別種の技術とはたとえば電気技術や写真技術である。電気の普及と電気に関する知識がすでに存在していなければならなかったのである。つまり簡単に言って、クルックス管をはじめとするある程度特殊な器材が安い値段で入手可能になっていなければならなかった。また、写真という画像が有意義なものとしてすでに受容されていなければならなかった。

[5-2-10]  特定の技術に密着するとしても、その技術をそれとは別の技術と全く無関係なものとして取り扱ってしまうわけにはいかない。すべての技術はそれとは別の技術とのリンクをともなっていると考えなければならない。これはつまり、既存の特定の技術はいつもすでに複数の技術を後ろにひかえた複合体として存在するということである(27)。そして、そのリンケージの変化や消滅ということも起こりうるから、特定の技術は技術複合体内部での位置づけの変化をこうむりうるのであり、場合によっては位置を失って消滅するということも起こりうるのである。

[5-2-11]  3  同じくX線画像法を例にとるが、この技術は当初は特定の人間の占有物ではなかった。トーマス・エジソンが人間の脳のX線写真をとろうとして失敗したことが知られているが、エジソンのような有名人でなくても、X線写真の器材を入手することができ、その器材はそれほど高額でもなかった。現在の街に写真屋さんがいるように、X線写真屋さんと言えるような人がいたのである。X線「記念写真」を撮ってもらう人たちもいたのである(28)

[5-2-12]  もちろん、今ではそうではない。医学医療で言えば、かつては医者も看護スタッフもX線写真を撮っていたのだが、今では、日本で言えば診療放射線技師という国家資格の技術者の占有物にほぼなっている。そして、診療放射線技師という技術者集団は、医学医療に携わる種々の技術者集団の内部で決してトップではない。どうしてそのようになっているのだろうか。そのようになりはじめたのはいつであり、どのような事情があってそのようになっていったのだろうか。X線の有害性という要因がもちろんあるが、それだけでは十分な理解を得ることはおそらくできない。端的に言って、医者集団がどうしてこの強力な手段を手放すとも見えることをしたのだろうか。取り込んでおいてもよかったはずではないだろうか。こうした追跡を通じて、特定の技術に占有的に携わる人間としての技術者集団の形成と特定技術の囲い込み、ならびにその集団の位置づけという、社会的な次元についても踏査することができる。

[5-2-13]  4  先ほど述べたように、筆者は「からだの内部を何とかして外に引き出し、知ろうとする技術」という表現でさしあたり一括りにしているのだが、実は、打診法および聴診法とX線画像法およびMRIのあいだには違いが一つある。それは、前者が患者のからだに接触するのにたいして、後者は接触しないという違いである。そもそも、医療者が患者のからだに触れるということは、長いあいだ珍しいことだった。触れることはむしろ疎まれてきたと言って過言ではない。触覚ないし聴覚によってからだの内部を知ろうとする打診法(29)と聴診法(30)は、相応の抵抗と障害を乗り越えながら、医療者集団および患者たちに受容された技術なのである。

[5-2-14]  しかし、X線画像法以後は、からだの内部を「見よう」とする技術が医学医療を席巻することになる。触れなかった医療者たちが触れるようになったという変化は大きな変化であったから、触れるようになった医療者たちが再び触れなくなったという変化も相応の大きさであってよかったはずなのだが、実際には、この点が取り沙汰されることはそれほどなかった。なぜなら、生きた人間のからだの内部が視覚によってとらえられるということ、眼に見えるということが、医療者のみならず多くの人々を陶酔させる強い魅力をもっていたからである。眼に見えるということにたいする人間の欲求の実現が、陶酔的な力をもっていたからである。その力の様子はたとえばトーマス・マンの『魔の山』(1925年)におけるX線画像をめぐる多数の描写にうかがい知ることができる(31)

[5-2-15]  生きた人間のからだの内部というものは、そもそもは「不在」であると思われる。つまり、absenceあるいはdisappearanceとして経験されるのが、からだの内部であろう。それが視覚的にとらえられるということ、しかも、複数の人間が同時に見ることのできる、もちろん真なる画像として固定されるということ、これは非常に大きな出来事であった。強めの表現を用いれば、もはやからだに内部はなくなってしまったのである。この時点で、からだのイメージは大きく変化したと言うことができるだろう。いやむしろ、筆者はそう考えているのだが、「からだも歴史的である」と言えるとすれば、人間のからだがこの時点で大きく変化したのである。この変化には、多くの事柄が絡み合ってくるはずである。

[5-2-16]  以上、少しばかり具体的に、とりあえず四つに分けて述べた。最初に述べたような意味の「自由な」仕方で技術とかかわる、もしくは技術を知るための一つの方策として歴史-文脈主義的アプローチを提示したわけである。このセッションのテーマは「科学技術と倫理学」だが、本稿はより精確には、「科学技術と倫理学者哲学者」という主旨のものであったように思われる(32)

(1)Martin Heidegger, Die Frage nach der Technik. in Die Technik und die Kehre. 1985 (6ste Auflage), Pfullingen, S.5
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(2)Theory of technology, Philosophy of technology, Technikphilosophieなどと呼ばれる研究分野を、以下では「技術論」と呼ぶことにする。TechnologieとTechnikの区別など、用語法に留意するべきとの考えもあろうが、本稿では「技術」という言葉によって、近現代の科学技術のことを念頭に置いている。
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(3)Alois Huning, Der Technikbegriff. in Friedrich Rapp(Hrsg.), Technik und Philosophie. 1990, VDI-Verlag, Duesseldorfによれば、ハンス・レンク(Hans Lenk)は、これまで提出されてきた技術論をそれぞれの技術理解にしたがって次の九つのタイプに分けている。1.応用自然科学としての技術(Realeaux, Bungeなど)、2.手段体系としての技術(Spencer, Simmelなど)、3.人間の搾取および力への性向のあらわれとしての技術(Spengler, Ellulなど)、4.存在史における存在の露現としての技術(Heidegger)、5.イデアにもとづく実在化としての技術(Dessauer)、6.人間の世俗的自己救済としての技術、7.人間を文化的存在者とする、客観的には余分なものの産出としての技術、8.人間が生み出す文化的世界による、自然の制限からの解放としての技術(Freyer)、9.人間の行為・営為の客観化としての技術(Gehlen)。また、フリードリヒ・ラップ(Friedrich Rapp)は、考察の角度に着目して、1.工学的な技術解釈、2.文化哲学的な技術解釈、3.社会批判的な技術解釈、4.システム理論的技術解釈の四つのタイプに分けている。
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(4)Andrew Feenberg, Critical Theory of Technology. 1991, Oxford University Press, p.5-15.(邦訳『技術 −クリティカル・セオリー』、1995、法政大学出版局、p.5-22)
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(5)「私は技術に反対してはいないということを最初に申し上げなければなりません。私は技術に反対して語ったこともありませんし、技術のいわゆる悪魔的なものに反対して語ったこともありません。そうではなくて、私は技術の本質を理解しようとしているのです」(Emil Kettering(Hrsg.), Antwort, Martin Heidegger in Gespraeche. Pfullingen, 1988, S.25.)
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(6)Duden Herkunftswoerterbuch(Der Duden in 10 Baenden, Bd.7)による。ハイデガー自身がこういうことを言っているのではない。
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(7)「自由」(Freiheit)に関する類似の事情はカントにおいても指摘できるだろう。天に懸かるものもなく、地に支えてくれるものもないにもかかわらず、人間が立つ立場は堅固なものでなければならないとカントは考える。その堅固な立場は、いわばまったくの自分自身、カントの言う「本来の自己」(das eigentliche Selbst)以外にはない。自由は、非本来的経験的な自己「から」離れるという方向性をもつが、それはすなわち同時に本来の自己「とともに」あろうとする方向性、本来の自己「に」徹底的に立とうとする方向性なのである。ここにさしあたり認められる自己の二面性が問題になろうが、それは本稿の守備範囲にはない。
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(8)Immanuel Kant, Streit der Fakultaeten. Akademie-Ausgabe VII. S.26.ちなみに、カントはこう続ける。「もっとも、医者の技術は自然から直接に借りてきたものであり、それゆえ自然についての学問から導き出されなければならないから、医者は学者としてはなんらかの学部に従属し、その学部において訓練を終えたのでなければならないし、その学部の判定に服し続けなければならない」。
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(9)第一に挙げるべき研究は次のものであろう。Lynn White Jr., Medieval Technology and Social Change. 1962, Oxford University Press.(邦訳『中世の技術と社会変動』、1985、思索社)
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(10)ベーコンについては『学問の進歩』や『ノヴム・オルガヌム』などを参照。具体的にテキストを挙げる必要はないだろう。
  ベーコンが拓いた土地に建物を建てたのがデカルトだと言ってよかろうが、デカルトは、たとえばみずから動物の解剖を多数行った人物であり、あまり肉屋と付き合いがあるのはどうかと思う、と人から忠告されたこともある人物である。しかしデカルトは、自分くらい解剖の経験があり、解剖学に通じている者は医者のなかにもそういないだろうと誇っていた。
  ロックについて。「これら学識ある論争家たちや全知の博士たちがいるにもかかわらず、世界の諸政府がその平和、防衛、自由を負っているのはスコラ的ではない政治家たちだったのであり、さらには、諸政府が有用な技術の改良を受け取っているのは、文字や教養のない、軽蔑されている機械学(これは不名誉な名称である)からだったのである」(John Locke, An Essay concerning Human Understanding. BookIII, chap.10, para.9, Nidditch-edition p.495)
  ライプニッツについて。「さまざまな職業の人々のあいだに分散している書き記されていない知識については、私は、そういう知識は、その多様さからしても、その重要さからしても、書物に書き記されている事柄全体をはるかに凌駕しており、われわれの宝の最良の部分はいまだに記録されていない、と確信している。ある人々に特有なもので、彼らとともに立ち消える知識さえ常にある。なんらかの注目すべき所見や考察をもたらしえないほど矮小で軽蔑すべき機械技術などというものはない」(Gottfried Wilhelm Leibniz, Discours touchant la methode de la certitude et l'art d'inventer pour finir les disputes et faire en peu de temps de grands progres. Gerhardt-Ausgabe V. S.181)(邦訳『確実性の方法と発見術に関する序論、論争を終結させ、わずかのあいだに大なる進歩をもたらすための』、ライプニッツ著作集第10巻、1991、工作舎、p.273-274)
  ディドロについては、『百科全書』のディドロ執筆による「技術」の項を参照。たとえば、「アカデミーの内部から誰でもよい、仕事場に降り立つ人、現実の技術について記録をそこでかき集める人、そして工芸家たちには読むことに、哲学者たちには有効に考えることに、また高位高官の人たちにはその権威と報酬を結局のところは有効に使うことに、腹を決めさせるよう作品のうちで技術を説明する人、こういう人が出てくることをのぞみたい」(『百科全書 −序論および代表項目』、1971、岩波文庫、p.311)
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(11)プラトンにおいては洞窟の中に戻ってきた人物(ソクラテスが想定されていると考えてよい)はひどい目にあうことになっているが、一度洞窟の外に出たこの人物が再び洞窟の中に戻ってくることは確かである。また、「迎合」(kolakeia)とさえ呼ばれる「経験」(empeiria)と「熟練」(tribe)から(プラトンが挙げるのは化粧術や料理術)、「算術」「幾何学」を経て「ディアレクティケー・テクネー」という厳しいロゴス性をそなえ善を目指すものにいたるまで、それらのあいだに差違と価値的上下があることは確かだが、それらが「類として異なる」とされているわけではない。ただ、「しかし『技術』の概念を重くとらえるプラトンは、……(中略)……理論性(ロゴス)を欠くたんなる経験や熟練を『技術』と呼ぶことを、正式には拒否するのである」という主張もある(藤沢令夫、いま「技術」とは、『転換期における人間7技術とは』、1990、岩波書店、p.17)。ここで言われる「正式には」というのはどういう意味なのであろうか。
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(12)柳田博明・山吉恵子『テクノデモクラシー宣言 −技術者よ、市民であれ』、1996、丸善、p.174
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(13)Guenter Anders, Die Antiquiertheit des Menschen Bd.1. Ueber die Seele im Zeitalter der zweiten industriellen Revolution. 1994, Beck'sche Reihe319. S.25f.(邦訳『時代おくれの人間』上巻、1994、法政大学出版局、p.25f.)
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(14)今日では、「はだか」というのは「服を脱いだ身体」のことではなくて「加工されていない身体」のことであり、この新しい意味での「はだか」の身体はたとえ服を着ていても恥ずかしい、とアンダースは言う。「シェイプ・アップ」という人口に膾炙した言葉を思うべし。
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(15)E.S.ファーガソン『技術屋の心眼』、1995、平凡社、p.66f.
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(16)Friedrich Rapp, Philosophy of technology after twenty years: a German perspective. 1995, http://scholar.lib.vt.edu./ejournals/SPT/v1_nln2/rapp1.html
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(17)Don Ihde, Philosophy of technology, 1975-1995. 1995, http://scholar.lib.vt.edu/ejournals/SPT/v1_n1n2/ihde.html
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(18)加藤尚武「学力の低下現象と新「学問のススメ」」、1999、http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/kato/education.html
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(19)清水哲郎『医療現場に臨む哲学』、1997、勁草書房
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(20)文書としてあるのかもしれないが、筆者が承知しているのは1999年度の日本哲学会での森岡氏の口頭発表である。
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(21)米本昌平「知価社会を実現するために −投資としての研究・消費としての研究』、中央公論1999年4月号。
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(22)坂本賢三『先端技術のゆくえ』、1987、岩波新書
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(23)Ernst KappやArnold Gehlenの言うOrganprojektion, Nach-aussen-setzen des Menschenを念頭に置いている。
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(24)注4で挙げたハイデガーの発言を参照。さらに、技術および技術的なものと区別される「技術の本質」へ突き進むハイデガー技術論の特徴にたいする批判的コメントとして、辻村公一「ハイデッガーと技術の問題」、『ハイデッガーの思索』、1991、創文社、p.336ff.を参照。あるいは同論文のドイツ語原文Koich Tsujimura, Heidegger und das Problem der Technik. in Acta Institutionis Philosophiae et Aestheticae, vol.7(1989), p.92ff.を参照。
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(25)しかし、ここで「限界設定」とか「基本的枠組」というようなことがすぐに口をついて出てしまうのは、哲学者倫理学者の悪い癖なのかもしれない。
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(26)ヴュルツブルク大学物理学教授であったヴィルヘルム・コンラート・レントゲン(Wilhelm Conrad Roentgen, 1845-1923)は、1895年12月に「ヴュルツブルク物理医学協会議事報告」(一地方学会の雑誌と考えてよい)において、新種の光線の発見を報告した(Ueber eine neue Art von Strahlen)。彼はこの論文の別刷り(Eine neue Art von Strahlen)を、妻であるベルタ(Bertha)の手のX線写真とともに、1896年1月初頭にヨーロッパ中の高名な物理学者たちに郵送した。この発見と画像は短時日のうちに急速に広まった。レントゲンは早くも1896年1月13日には皇帝ヴィルヘルム一世に招かれてベルリンの王宮でX線の講義およびデモンストレーションを行い、成功して、大きな賞賛を得ている。哲学の分野でも知られている人物であるアンリ・ポアンカレも、パリから祝いの手紙をレントゲンに送っている。日本には1896年2月に第一報が届いたらしい。日本の小西六発行の雑誌「写真月報」1896年(明治29年)10月号には「X光線撮影用器械」(クルックス管、バッテリー、誘電機のセット)の広告が掲載されている。おそらく、商用として日本に最初に輸入された機器であろう。
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(27)「技術は大きかろうと小さかろうとパッケージでやってくる」(Technology comes in packages, big and small.)というクランツバーグの第三法則はこのことを言う。cf. Melvin Kranzberg, One Last Word - Technology and History: "Kranzberg's Laws". in Cutcliffe & Post(ed.), In Context - History and the History of Technology -, Essay in Honor of Melvin Kranzberg. 1989, Lehigh University Press. p.248f.参考としてほかの五つの法則も挙げておく。1.Technology is neither good nor bad; nor is it neutral. 2.Invention is the mother of necessity. 4.Although technology might be a prime element in many public issues, nontechnical factors take precedence in technology-policy decisions. 5.All history is relevant, but the history of technology is the most relevant. 6.Technology is a very human activity --- ando so is the history of technology.
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(28)注26で紹介した雑誌が「写真月報」であることを思い出されたい。2でも述べたが、写真が実在そのものではないにせよ実在の真なる描写として受け入れられていたことが、X線普及の大きな要因である。しかし言うまでもないが、「実在の真なる描写としての写真」というのは、それ自体を反省してみるべき考え方である。次の研究を参照されたい。ヴィレム・フルッサー『写真の哲学のために』、1999、勁草書房。
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(29)レオポルト・アウエンブルッガー(Leopold Auengrugger)が1761年の著書Inventum novum ex percussione thoracis humani ut signo abstrusos interni pectoris morbos detegendi.(胸の内部の隠された病気をあばくために胸郭を打撃することにもとづく新考案)で発表したが、長期間無視や抵抗を受けた。実はアウエンブルッガー自身も、打診法を行う者は薄い皮の手袋をはめ、診断を受ける者は薄いシャツを着ているのがよいとしている。
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(30)ルネ・ラエネク(Rene Laennec)が1819年の著書De l'auscultation mediate(間接的聴診法)で発表した。なお、聴診器の原語はstethoscopeである。
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(31)「カストルプ君とポルックス君。どうか悲鳴を上げられないようにな!  待っていらっしゃい、二人ともさっそく看破してあげますから。あなたはこわいらしいですね、カストルプ君、私たちに内部をのぞかれるのが?  心配は無用です、きわめて美学的に処理されますからね。ほら、これはどうです、私たちの私設画廊をもうごらんでしたか?」(ベーレンス顧問官の台詞。岩波文庫『魔の山』上巻、p.372)
 &bnsp;「彼はいま見たもの、というよりも、自分がそういうものを見たということに、心をすっかり動かされ、そういうものをのぞかせることが、果たして疑わしくないことかどうか、パチパチと鳴り震動する暗がりでそういうものを見ることがゆるされたことかどうかと、ひそかな疑いに気がとがめるのを感じ、冒涜の烈しい快感が胸のなかで感動と敬虔の情とにまざりあった」(カストルプの心情描写。上掲書p.378)
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(32)最後に、最近目にしたテキストを紹介しておく。「……そういや自然科学の入門書は翻訳物に限る、と村上龍が言っていた。易しいのはタイトルと装丁だけ、まえがきが終わるといきなり数式の嵐、なんて本も多い日本では、文科系インテリの理科系知識の半分が立花隆経由ではないかと私はにらんでいる」(筆者不詳、本の十字路、「出版ダイジェスト」紙1999年9月25日掲載)。このテキストの場合は理科系の知識について語られているわけだが、「こんなふうににらまれているようでは……」と、このテキストで言う「文科系インテリ」の範疇に入っているのであろう筆者は感じる。
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